9月1日は防災の日
奥尻高校では、一日早い8月31日に一日防災学校を実施。
なぜ一日早いか?
奥尻町の町を挙げての防災訓練が1日早いためである。
奥尻町は、198名の犠牲者を出した1993年7月12日に発生した南西沖地震から30年の年を迎えた。
その島にとって大切な年の一日防災学校なので、当然熱が入る。
島内の出身者は、親族からそのときのことを聞いているかもしれないが、島留学生たちはなかなか聞く機会がない。
そこで、今回は震災の語り部の竹田さんの「南西沖地震当時の避難所について」をテーマに、当時の青苗支所と青苗中学校での避難所の開設から運営、炊き出しや支援物資、遺体への対応までさまざまな話をしてくださいました。
実際体験したお話に生徒たちは、釘付け。
当然のその後の避難訓練は、巨大地震からの大津波と火災が発生した想定。
ちなみに、奥尻高校は赤石地区の高台にあり、30年前の震災でも津波の被害はなかったとのこと。
しかし、安全な場所であるということは当然、町民の皆さんの避難所となる。
よって、奥尻高校の防災学校は、講話と避難訓練だけでは終わりません。
後半は、北海道の防災担当の専門家の指揮で、避難所設営と避難所運営(避難者の受付)体験をしました。平成に入ってから3つの大きな災害時の避難所と関連死についての話の後に段ボールベッドの制作です。コロナ禍の災害対応から避難所運営に変化が現れ、現在は関連死をなくそうとする方向になってきているようです。
避難所には、さまざまな年齢層の方や持病をお持ちの方、移動方法、ペットと共に避難した方、高齢の方と一緒に避難した方など多岐にわたっています。その方々を部屋に振り分けるのが受付の仕事。
みんなで受付役、避難者役に分かれて避難所運営体験です。
最後に
一日防災学校で防災のことを体験談や避難所体験、また授業でも防災を盛り込んだ内容できちんと学べたことがよかった。
今日は、家族に連絡して防災グッズの再確認をしようと思います。
これからの災害では、私たち若者の力が生きていくと思うので、協力していきたいなどの感想がありました。
震災から30年が経過し、島では震災の語り部の高齢化と防災施設などの老朽化や島民の高齢化による避難の方法の再検討など新たな課題があります。
今後も町おこしワークショップなどで、島民の皆さんと一緒に課題に向き合っていきたいと思います。